愛して愛されて、、、そしていつも仕事があった
このまま治療しなければ、、、と余命まで告げられて、
まだ実感がわかないのは、鈍感すぎなのか?
いずれにせよ、何だか他人事みたいな気がします。
重くなれば治療もかなり大変そうで、
第一、治療に向かう気力など出てくるのでしょうか?
今は、、、
生きたい!という強い気持ちではなく、
ふっと、自分の人生は幸せだった、という思いが不思議とわいています。
愛し愛された記憶。
遠い日の恋が浮かび上がる。
相手を、そして自分のことを深刻に考えて、
でも何もわからなくて。
思い通りにも、一体化になることも不可能なのだということを知り、
相手を失うことを何より恐れた。
そんな感情は自分だけにしか知る由もなく。
孤独というものは相手がいても孤独と、思い知らされて。
うんと愛して、うんと愛された甘美の中、
容赦なく襲う寂しさや哀しみも受け止めて、めくるめく季節を精一杯生きてきた。
そんな恋の始まりも、恋の終わりも、いつも私は素知らぬ顔で働き、
胸がどんなにときめいても、胸に重しを乗せたような朝を迎えても、私には行くところがあった。
そう、ずっと仕事があって働き、定年まで努めて退職金が得られる今。
理不尽な目にあったり、嫌な上司先輩同僚と付き合い、泣く子に早く早くと苛立ちながら出勤し、
心病みそうな日々を経て、
この金額をどれだけの女性が手にすることが出来るのだろう。
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そんなことを考えていたら、
60年間私は恋をして職を失うこともなく、充分幸せだったじゃないのかな、と思えたのでした。
還暦とはよくいったもので、暦が一巡し、また暦が還ったのだから、
ちょうど私も病を得て、また新しい人生を過ごすことになりそうです。
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