60までの自分磨き→60からも自分磨き(定年後)

50代後半からの日々を綴っています。60になり、また次のステージへ。

心配の種まき

数年前、いやもうずっと働きたくなくて仕方ない思いを持っていた。
早く楽になりたい、、、
何度そう思ったことか。
どれだけ日曜の切ない夜、月曜の辛い朝をすごしたことか。


60で辞めよう、と考えたことは自然な流れだった。


自分が母になり、実家の母の気持ちもわかるようになったから、あまり母にあれこれ言いたくない。
母親はすぐ心配の種を見つける人種だから。


定年後のことを聞かれ、辞めると答えた時、
「もったいない、65までいられるんでしょう?」
「でも給料下がるし、ボーナスも出ないんだよ」
「いいじゃない、もう子供にお金かからないんだから。あのね、もらえるだけ有難いのよ、年金なんてどうなるかわからないんだから」
「でも、もうずっと働いてきたし」
「何言ってるの、まだまだ若いじゃない」


いつも話すんじゃなかったと後悔する。
極め付けは、このセリフだった。
「どうせ辞めてから毎日後悔するわよ、始めは良いけどすぐ飽きるわよ、暇で困って、そうなると遅いから」
いつもならスルーするのだか、
「でもずっと働いてきて、雨の日も嵐の日もどんな嫌なことがあっても毎日同じ時間に出勤してきてもうウンザリなの。お母さんにはわからないだろうけど」と言い返した。
ものすごくカチンと来たのだ。
じゃアンタはなんなのよ、フルタイムで働いたこともないくせに。そんな気持ちだった。


「そうね、80過ぎの親が口出しすることじゃないけど」最後は母が折れたが納得してはいないだろう。
私はただ最初に、「長い間、良く頑張ったね」とだけ言ってもらいたかったんだと思う。
と、今更親に期待し違う反応に反発するほど子供ではないはずだったのに。
実際、母の協力がなければここまで続けて来られなかったのだし。


母にはもう何も言わず、事後報告のみとする。敢えて心配の種になるようなことは話さない。
伝えたことに対する母の反応はスルーする。
定年まで介護離職せず働けたこと、それだけ感謝していれば良い。
心配の種まきはしない。