定年まで働くということ
先日、幼馴染と久しぶりに会い色々な話をしました。
フルタイム、管理職の仲間としても頼りにしていましたが、50代半ばで退職したと以前聞きました。
「本当にね、ずーっと辞めたくて辞めたくて仕方なかった。悩んで悩んで決めたのよ、もう無理って。退職したらどうなるんだろうって不安ばかりだったけど、辞めてもう気が楽になったわ」
先を越されたなぁ、とその時に思いました。
その後は「後悔は思ったほどなかったの」と穏やかでいたので、選択は間違っていなかったのだと安堵しました。
その後、以前の職場からパートのお誘いを受け数時間勤務として復帰。
「気持ち的に楽」ということでした。
現在は、「頼まれてだんだん時間が伸びた」そうで6〜7時間の勤務だそうです。
私も友人では初めて今までの経緯を話しました。
彼女は驚いていましたが、とても喜んでくれて、
「私はリタイヤしちゃってもうとにかく逃れるような感じで辞めたけど、本当に良く最後まで勤め上げたわね。そんな良い話が来たのも今まで頑張って来たからだよ。おめでとう」と。
長らく同志のように支え合ってきた友人からそう言われて嬉しかったです。
多分、彼女も本当は定年まで勤めたかったんだと思います。
でも精神が崩壊するまで頑張ることない。
その見極めが難しい。
金銭的なことも考えなければいけないし、、、
子育て、介護、病気、転勤と退職の要因となることは山ほどある。
さらに人間関係や待遇面と悩みや不満はキリがないもの。
「定年」と当たり前のようで、実際迎えることは沢山の汗と涙、悔しさが溢れている。過ぎたからといって美化されないものを未だ抱えている。
それでもそんな言葉を伝えてくれて私は彼女の存在があったから続けてこられた一因と、あらためて感謝し、伝えました。
美化されないものを浄化するには、時間と感謝、あとは自分への「よく頑張った」という労りなんだと思う。
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