結局は「寂しがりやのひとり好き」
今、もしムスメが一緒にいてくれて、
もし孫がいてくれたら、(まだいません、未婚だし)
私は寂しくないのだろうか?
確かに一緒なら、帰省のたび駅で別れるたびに味わう切ない気持ちからは解放されるだろう。
でも実際、仮にまた同居しても寝室は別だし、私も自室があるし、
そうそう毎日べったりするわけはなく、彼女もよく出かけるし、やはりすぐ自分の部屋に行くし、友人が大事。
私は友人、知人はいるけれど、
やはり頻繁に会うことはない。
何だかルーティンに会うのは苦手。気ままにいたい。
でも何かあったら連絡出来る親友はいる。
趣味の世界も基本、個人でやったり、レッスンもお高いけれど個別が良い。
団体の場合も、付かず離れずに。
必要以上に親しくなるのは後々面倒になりそうで。食事会等はたまにしかいかず、自分のことはあまり話さない。基本、習いたい内容が大切で煩わしい人間関係になり悩みたくない世界。
恋愛。うんと愛し愛された記憶があるのでもう十分。切なさも喜びも味わい尽くしたから。
だんだんと。介護が死別が身近になってきつつある年齢になり、これから相手あることで一喜一憂したくない。
結局は、寂しがりやのくせに、何だかんだひとりが好きなのかもしれない。
それでも時折無性に孤独感を感じ、切なくなるのだけれど。
鴎外記念館の帰りに立ち寄った喫茶店。
アンズのシャーベットが甘く酸っぱく。
一人時間好きなんだけど寂しい日曜夕刻。
やれやれ面倒くさい自分だわ。
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