子から見た母
時折でる母の思い出話。
「あの時は本当に頭にきたわ」
「そんなこと言われたから呆れてしまったのよ」
私はいつもそのあとの言葉を期待して裏切られてしまう。
「頭にきたからね、それは違うわって言ったのよ」
「おかしなこと言ってるわよって伝えてみたらね」そう言ってその後の話に繋がることはない。
ただ母は「もう悔しくって今でも腹がたつわ」
「本当に呆れて、だってこう言ったのよ」
と、同じ話に戻るだけなのだ。
当時、何もせず、ただ自分だけが我慢をしたことを繰り返す。
先日は、親戚の葬儀で花のお供えを出さなかったことが今、続いている。
「絶対に出さないなんておかしいわよ、でも出さなくていいって○○ちゃんがいったから。
だいたいあの子がそんなこという権利ないでしょう?私は出そうと思っていたのに。」
「お母さん、ウチは出してもおかしくなかった立場でしょう?なんで出すって言わなかったのよ。」と私。
「だって○○ちゃんがそう言ったから」
「それで納得したの?ちゃんと出したい理由を言ったの?」
「だってもうそんな感じゃなかったもの。おかげで恥かいたわ、あちら側の親戚の花はちゃんとあったもの。だいたい○○ちゃんって・・・・」と続く母。
私は「葬儀はね、もうその時しかないんだから、出したいと思ったって後からじゃ遅いのよ。
出さないにしても、その時○○ちゃんとよく話せばよかったでしょう?」と話をさえぎるが、
母は「○○ちゃんっていつも強引なのよ、だから言えるわけないでしょう、本当にいつも自分勝手にしゃしゃり出るんだから。」
「だったらそんな人の意見なんて優先することないじゃないの。」
結局、いつも人のせいにしてしまう母。
でもね、最終的に決めたのは自分。○○ちゃんのせいじゃない。
○○ちゃんの意見を聞いてそうしたのは母なのだ。
ワンマンな父と暮らす母はそうやって生きて来たのだろう。自身の経済力もなく我慢し黙って耐えていたのに、いつしか愚痴を言うようになり、恨みがましくなってしまったのか。
私は母には幸せでいて欲しかった。
でも、私が母を不幸と決めつけることは傲慢なことだ。
私が測りきれぬ様々な思いを母は持っているのだろうから。
ただ、私はムスメにお母さんは自由に自分の好きなように生きて幸せだったと思ってほしい。
それがムスメの幸せにも繋がる気がするから。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。