恨みがましさと自分への失望
聞かれた叔母の娘(こちらも私にとっては従姉妹)は、遠慮すると答え、その答えは我が実家の母に伝えられた。
母には、聞いた従姉妹から、「もう亡くなった叔母さんも歳だし、身内で済ませるからお花は遠慮しますって。」
そのあとに「だからお花出さなくて良いから、そのつもりでね。出さないでって言ってるから。」が後々、母の中で尾を引いている。
聞いた方の従姉妹は、高齢の母に対して親切な気持ちからそう言ってくれたに違いない。
が、母の中で、
「いちいち花のことをわざわざ聞く?勝手に出せば良いのに。聞かれたら、下さいなんていわないでしょ?普通は要らないって遠慮するでしょう?なんでわざわざ聞いたわけ?」となっている。
そして「私は花を出さなかったのに、あちら(叔母の嫁ぎ先)からは供花が来てたでしょう?もうあんなに恥ずかしいことなかったわよ!」が続く。
今日もまた聞いた方の従姉妹の話になり、
「大体でしゃばりなのよ、私は供花出したかったのに、あんなに言われたら出せないでしょう?」とまた憤慨。
私は昔から人のせいにすることが大嫌いなのだ。
出さないと決めたのは結局自分。母自身。
連絡をくれた従姉妹は姪なのだから遠慮せずに「教えてくれてありがとう。でも気持ちだから私は出すわ。」と言えたはずだし、
なんなら母が聞かれた方の従姉妹(亡くなった叔母の娘)に「お花のこと聞いたけど、やはり私は叔母なんだから出させてもらいたいの。気持ちだから遠慮しないて。」と伝えても良かったはずた。
何もせず文句を言うな、と言いたい。
毎度のことながら、今日は母に「でも出したかったら、出せば良かったでしょ?いつまでも人のせいにして。決めたのは自分じゃないの。」と言ってしまった。
我ながらキツい口調だったと思う。
母は「だってもう勝手に決められたから、仕方ないじゃないの!!」と返す。
ああ過去のことに対して本当に不毛な会話。
「そうだよねぇ、出したかったのに残念だったよね。、でもお母さんに教えた方が良いと思ってくれたんだろうし、ほらこれからも私もまたお世話になるかもしれないしさ、ね。」くらいにしておけば良かったと反省。今更過ぎてしまったことなんだから。
恨みがましさって本当に馬鹿らしい、と思う、
いつまでも恨みがましく思い続けて何になる?
母はいつも忍耐の人だった。
自分が我慢すれば家庭がまわるから、その方が楽だと思い込んでいた。
実際、暴君な父と波風立てずに暮らすにはそうするしかなかったんだと思う。
私はそんな母が嫌で、母の文句を聞くとたまらなくなるのだ。
今こうして娘に感情をぶつけてくる母に優しさよりも批判するしか出来ない自分にいささか失望する。
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